ここまで辿りつくまで時間がかかりました。若松兎三郎の3女緑さんが画塾の先輩画家岡本神草と結婚しますが、結婚2年後、神草は38歳で逝去し、緑さんも追うように病没します。二人の面倒を見ていたのが父兎三郎でした。 若松家で保存していた岡本神草作品から名作を発掘し公開したのは京都の星野画廊の星野桂三氏でした。星野さんが若松兎三郎直系の若松正身氏の連絡先を教えて下さいました。 待ち合わせ場所は、1930年5月、若松兎三郎一家が帰国し、最初に建てた住居の京都市左京区浄土寺上馬場町でした。現在、この家に居住している岡田・リンネ夫妻が昨年に家を購入し改装している時、屋根裏から「昭和5年 施主 若松兎三郎」と書いた棟札などを見つけ、インタネットで若松兎三郎を研究している私に連絡してくださいました。 実は、兎三郎の京都の居住地は地番変更があり、若松家は早い段階で転居したので、子孫の連絡先が分からずに困っていたところ、リンネさんからメールをいただきました。星野さんが緑さんのいとこ木村由美子さんを知っていたことから若松家の当主若松正身さんに連絡先を教えてもらいました。 7月12日午後1時30分、待ち合わせ場所に駆けつけてくれた若松正身(兎三郎の長男逸の長男)夫妻、木村由美子さん(兎三郎の五女昇小の長女)が60年ぶりと言いながら、昔からあったもの、その後にできたものを点検し、話題豊富で楽しい集まりでした。また、岡村神草研究家の田中圭子京都造形芸術大学専任講師もリンネさんの知人であることから合流し、陸地棉研究に関心がある立命館大学講師梁京姫さんも参加して、岡田家のご家族と共に60年前の居住者と現在の居住者が語り合う場となりました。しかも歴史的な人物若松兎三郎が長年居住していた所縁の場所でもあり、意義深いものを感じたところです。
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